戦後七十年の節目にあたって
戦後七十年
ずっと、投稿しようかどうしようか?迷ってましたけど、戦後七十年という節目だし、この先誰かに話すこともないと思うんで投稿しときます。
二十四年前に他界した私の父は、「陸軍少尉」だったそうです。大正11年生まれでしたので、終戦当時は23歳ぐらいでしょうか。
満州で終戦を迎えたとのことです。
父は、とくに趣味もなくお酒を飲んだら口から出てくるのは「戦争」の話ばかりでした。
子供の自分は、全く興味がなかったので、耳を傾けることも無く、何を言っていたのかもほとんど覚えていないです。
そんな中でも、二つだけ覚えてることがあります。
一つは、上官にしょっちゅう殴られたということ。
昔テレビなどでよく見た「歯を食いしばれ!!」的な感じで、ストレス発散みたいに殴られたらしいです。
そういう経験からか?「人の顔を殴るのは最低の人間のすることや。」と言い、自分は父親から一度も顔を殴られたことはなかったです。
(目から火が出るほどの頭にゲンコツは何度かありましたが)
もう一つは、終戦の時のこと。満州で終戦(敗戦)を迎えたので、中国軍に捕らえられ、軍刀も没収されたそうです。
その時のことを父に聞いたのは、テレビで見たり聴いたりしたのとは違う光景でした。
「講堂」のようなところに集められ、酷いことをされたのかと思うとそうではなく、
戦争が「やっと終わった」という安堵の気持ちから、日本兵、中国人の兵士が混ざり合って、みんなで肩を抱き合って喜んだと言います。
そして、中国のお酒でしょうか?父親は「チャンチュウ」と言ってましたが、多分「老酒」を酌み交わして、ベロンベロンになるほど飲んだと聞きました。
歴史問題、反日感情、中国製品の問題、等など・・・。
日本と中国の問題などについてニュースやネットなどでもたくさん取り上げられていますが、一人の人間、一民間人とした場合、みんなおんなじ人間なんやし、どんな「強制的な」教育などを受けても、イヤなもんはイヤやし好きなもんは、好きやし。
環境や教育が違うから、常識や考え方も違うのは当たり前やけど、一人の人間としては、個人的に憎しみがあるわけでもない目の前の人間と殺し合うという「戦争」は、望んでいないし、
勝っても負けても、敵も味方もなく、終わって良かったという戦争に関わった人たちの正直な気持ちを聞けたのは自分にとっては大切な経験だったと思います。
右でも左でもないし、歴史問題の認識については自分はよくわかりませんが、自分の名前の「靖夫」の「靖」は戦争経験者の父親が、「戦犯」と言われている方もおられるかも知れないけど、お国のために戦った尊い人たちが祀られている「靖国神社」から一文字もらってつけた名前と父親から聞いております。
たわいもないひとり言でした。
黙祷
平成27年(昭和90年)8月15日
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